毒親育ちだった私へ

私の親は毒親だと思う。 自分はアダルトチャイルド、機能不全家族育ちなんじゃないかと思っている。 自分が、ほかの人の経験談を聞いて救われたので、 自分もエピソードの一つになれたらいいなと思っています。

母親の母親もまた毒親

こんにちは!

 

 

母親の母親

つまり私のおばあちゃんの話ですね。

 

私はあくまで

「私の母親の子供」なので、

私の母親に同情する必要はない

と思っています。

それは子供の仕事ではないから。

私が母親からされた嫌なこと、

それはそれで嫌だった、で終わらせてもよいと思っています。(今は)

 

ただ、毒親という言葉を知る前の私は

「私の母親はあんなにひどい仕打ちをされてきたのだから、かわいそうな人なんだ。私が守ってあげなくちゃいけないんだ。私がされて嫌なことも、母親の生い立ちがひどいせいなんだ。だから許してあげないといけないんだ。」

と、幼少期からずっと思い続けていました。

 

母親にも事情があったのかもしれないし、

きっと毒親問題ってそこ抜きには語れないのだろうと思います。

でも、事情があっても許す必要はない。

それを前提としたうえで、今日は祖母(母方)の話を書こうと思います。

 

 

ちなみに、

父親の母親もとんでもない毒親で、

そのうちそれも書きたいので、

今回のブログでは「祖母」表記ではなく、

「祖母(母方)」表記にします。

 

 

祖母(母方)のセリフで

私が忘れられない言葉があります。

これは私が直接聞いたのではなく、

私が母から聞いたものですが、

私が生まれた時のこと。

母が赤ちゃんの私の世話をしながら「かわいい~かわいい~」

と言っていたそうです。(平和ですね)

すると祖母(母方)が一言

「あんた、ようそんな自分の子かわいいかわいいって言えるな。私自分の子供かわいいと思ったことない。」

と言ったそうです。

 

自分の娘(私の母)に。

 

 

下の記事を書いたときに少し触れましたが、

tamakonnyakuchan.hatenablog.com

祖父(母方)が、クソじじい悪魔のような男だったので、

そういう思考(嫌いな男の子供への感情)になるのもわからなくはないのですが、

それは実の娘に言うことではないですね。

でも言ってしまう。

それを聞いた娘がどんな気持ちになるかは考えられないのでしょうね。

 

祖母(母方)には私の母親のほかに2人の息子がいます。

母親は「かわいいと思えないのに何で3人も産んだん?」と聞いたそうですが、

祖母(母方)は

「3人産んで一人前って言われたから。」

と答えたそうです。

 

時代もあるんでしょうけど。

 

祖父(母方)が傍若無人なふるまいをして、虐待をしていても

見て見ぬふりをする状態だったそうですし、

何か気に食わないことがあると子供と1か月口を利かないこともよくあったそうです。

私も愛情深いエピソードを聞いたこともありません。

 

 

私は祖母(母方)と接していて、嫌な思いをしたことはあまりなかったのですが、

妹と祖母(母方)の話になると、驚くほど印象が違います。

私はいわゆる”女の子”でした。長い髪が好きでスカートをはき、”女の子らしいこと”に興味があり、言うことを聞く。

妹はボーイッシュの姿を好み、口ごたえもするし、スカートは絶対はかないしショートカット。

祖母(母方)にとって「女なのに女らしくない」と思われた妹は、私と扱いがまるで違ったようでした。

何をしても怒られて、口を開けば「女らしくしなさい」

妹から聞く祖母(母方)の印象はいわゆる毒。毒祖母だったのでしょうね。

祖母(母方)が私をかわいがってくれたのも、“私という存在”がかわいかったのではなく、”言うことを聞く女の子らしい女の孫”がかわいかったのだろうなぁと今思います。

 

 

そんな祖母(母方)の生い立ちも

なかなか壮絶だったようです。

(まぁクソじじい悪魔のような祖父と結婚した時点で悲惨だとは思いますが。)

じゃあ、祖母(母方)の母親は…?

もしかしたら毒親だったかもしれません。

 

だから、毒は断ち切らなきゃいけないんです。

ずっと不幸が繰り返されるから。

誰も幸せになれないから。

 

毒を断ち切るための第一歩が「毒親」という言葉を知ることだと私は思います。

 

 

毒親」という言葉を知ったから、

私は生きづらさの根底にある親への感情に気づき、

親に疑問を感じ、

自分の感情やインナーチャイルドと向き合い、

親との関係を見直し、

絶対に同じような親にはなりたくないと、自分に誓うことができました。

 

 

みんないろんな事情を抱えて生きています。

だからと言って何でも許さなきゃいけないわけじゃない。

ましてや子供が親のしてきた嫌なことを許す必要はないと思う。

「ふ~ん、お母さん(お父さん)も大変だったのね~。大変な家庭で育ってきたのね~。嫌な経験をたくさんしてきたのね~。でも私も大変だったから。

これでいいと思う。

 

【贈り物編】日々脳内でこだまする毒母からの呪いの言葉

こんにちは!

 

 

私は母親とそれなりに距離をとって生活することができていますが、

いまだに、かつて浴び続けた呪いの言葉が

脳内に鳴り響いています。

 

 

今日は贈り物編と題して、その一例を書くことにしました。

 

 

私は贈り物をもらうことがプレッシャーです。

贈ってくれた人がだれであれ、

プレッシャーを感じます。

「相手が自分のために選んでくれたんだ。自分のために時間を割いてお金を使って自分のことを考えながら買ってくれた贈り物だ。望み通りの反応ができるかな。どのくらい喜べばいいんだろう。失礼な態度とっていないかな。喜びの反応が小さくてがっかりさせてないかな。」

と、

贈り物をもらうと、一通りこんな思考がめぐります。

 

もらった相手がだれであれ、

もらったものがどんなに好きなものであったにしろ、

必ずこのステップが入ります。

 

 

疲れます(笑)

 

 

 

日々呪いの言葉を受けて育つ毒親持ちですが、

なかでもこの思考パターンに影響を与えたと思われる出来事を

私ははっきりと覚えています。

 

 

私が母親から手帳をプレゼントされた時のことです。

 

どういう目的のプレゼントだったかは覚えていませんが、

母親は私に手帳を買ってきました。

「あんたのために買ってきたで」

と渡された手帳はベージュ地にバラの一輪挿しのイラストが描かれたもの。

 

私は高校生だった当時から持ち物へのこだわりが強く、

気に入ったものを使いたいという思いが強くありました。

母親が買ってきた手帳は私の好みとは違い、

私はそれを気に入ることができませんでした。

 

私は

「私、あんまりこれ好きじゃない」

と言いました。

 

 

するとまるで

地雷を踏んだかのように、

いきなり母親の怒りの爆発が起こりました。

 

「あんたのためにせっかく買ってきたのに!

あんたが気に入ればいいかなあと思って買ってきたのに!

親がくれたものに対してそんなことを言うなんて考えられへん。

信じられへん!

もう二度とあんたには何も買ってあげへん。

あんたのためには何も買わへん。」

 

 

気に入らなかったんでしょうね。

 

 

私は、自分がプレゼントを贈る側になったときに思いますが、

プレゼントは善意で贈るものです。

これを贈ることで相手が喜んでくれればいいなぁ

とは思いますが、

喜んでくれないのならば怒る!!!

という選択肢はありません。

 

 

虫の居所が悪かったのか、

自分のセンスを否定されたと思ったのか、

かつて親に口答えできなかった自分と比べて口答えしてくる娘が疎ましかったのか、

 

何が引き金になったのかはいまだにわからない。

けれど私はあの時ひどく怒られました。

何時間も怒られ、

何日にもわたって嫌味を言われ続けました。

 

そこで私が学んだことは、

「プレゼントをもらったら気に入るにしろ気に入らないにしろ、誰からもらったものであっても相手が望む一番の対応をしなくてはならない。」

ということです。

 

プレゼントをもらうことは私の中で大いにプレッシャーのかかる出来事となって私の中に刻まれました。

 

プレゼントをもらって先述した思考パターンに陥ってしまうのは、

いくつになっても母親からの呪いが脳内にこだまするからです。

「このプレゼントはあんたのためにお金を使ったんやで。

あんたにこれを贈るために時間もわざわざ取られたわ。

気に入らんとかそんなことを思う権利はない。

こんなに労力使ったのにそんな程度の反応?

買わんかったらよかった。」

 

相手がそう思ってないかもしれない。

相手からそう言われたわけじゃない。

でも大げさに喜びを示さないと何か悪いことが起こる気がするのです。

 

 

 

そんなことを気にせず、

相手からの善意を受け取りたい。

もらったものではなく、

もらったものに対する自分の反応ばかりに集中する

そんな思考パターンを手放したいです。

 

 

ブログタイトル変更します

お久しぶりです。

 

ちょっと思うところあってブログのタイトルを変更することにしました。

 

 

私がブログに書きたいのは

私と親との話。

私が自分の親と向き合って、

自分の育てられ方と向き合って、

私の生きてきた道と向き合って、

そして自分がこの先幸せになるために、

このブログを始めました。

 

 

自分のブログなので育児日記を書きたかったっていうのも

嘘じゃないのですが、

 

このブログで伝えたいことは

毒親育ちは独りではないこと。

子供のせいであることは一つもないこと。

伝えたい相手は

当時の毒親に苦しめられた自分。

そして自分と同じ「毒親育ち」の人。

 

いろいろ手を出すと、

私は伝えたいことと伝えたい相手がぼやけます。

だから子育て関係の記事は削除しました。

 

 

 

全然今は更新してないので読んでくれる人は多くないけど、

私は自分と向き合うために、

当時の自分に語りかけるために、

自分と同じ思いをした人に独りじゃないよと知ってもらうために、

このブログをまたちょこちょこと書きたいなと思ったのでした。

 

だからブログタイトルは

毒親育ちだった私へ」

 

これからもよろしくお願いします。

小さなカウンセラー

こんにちは!

 

 

私の個人的な感覚として

今年は「ヤングケアラー」という言葉をよく耳にしたように思います。

 

ヤングケアラーご存じですか?

普通なら大人が負うはずのケア責任を引き受けている若い世代のことを指します。

家事、介助、情緒面のサポート、きょうだいの世話、各種支払い等、家計を支えるアルバイト等、家族のための通訳など、とにかく多岐にわたりますが、そういった責任を子どもが負っている、そういう状況にある人のことを指すそうです。

 

今年は新聞にも取り上げられたり、テレビでも取り上げられたり、

前から問題にはなっていたけれど、今年は特に目にする機会が多かったように感じました。

 

 

私は毒親育ちだと自認していますが、

家事をしてもらえなかったわけではありません。

介助もする必要はなかったし、上にあげられているようなことは

する必要はありませんでした。

だからそのような状況にある方たちは、自分の時間が取れず、大変な生活をしているのだろうと胸が痛みます。

 

でも一つだけ、

自分はヤングケアラーでしたと言うのはおこがましいかもしれないけど、

ヤングカウンセラーだったのではないかと思うことがよくあります。

 

親が子を頼り、

本来であれば大人にする相談などを子にする。

上にあげた中では「情緒面のサポート」に近いのかもしれません。

 

私の母親は

嫁姑問題、親戚不仲、母親自身の生い立ちの問題、父親に対する愚痴・悪口、ママ友問題、とにかく挙げればきりがないほどたくさんの話、

いうなれば「大人の話」を幼い私や妹に相談してきました。

 

tamakonnyakuchan.hatenablog.com

 

再掲しますが、

 

親たちには考えて欲しいのです。

その話は子供にする必要のある話ですか。

それとも大人の話ですか。

大人の話は子供にしていいですか。

その子供の反応をちゃんと見ていますか。

一生懸命あなたの味方をしようとしていませんか。

相談する頻度は高くないですか。

何度も同じ話を聞かせていませんか。

 

 これを私は何度だって親たちに問いたい。

 

 

「大人の話は大人を相手に。」

こんな簡単なことをわかってもらえない。

 

幼い私や妹は

一生懸命相談相手になりました。

お母さんが困っているのだから、

自分たちは絶対にお母さんの味方でいなくちゃ。

 

相談相手になることを拒否すると

母親は泣きます。

母親は怒ります。

「お母さんは誰かに愚痴を聞いてもらうこともできないのっ」

と言って拒否した私を責めます。何時間にも何日にもわたって。

 

その ”誰か” は、

幼い子どもたちでなければならなかったのでしょうか。

 

お母さんの相談を一生懸命聞いて、

少ない人生経験の中からアドバイスをする。

お母さんがこれ以上傷つかないように、

言葉を選んで味方をする。

 

それは本当に子どもにさせることですか。

何故嫌がってもやめてくれないのですか。

 

 

私は確かに

生命を脅かされることもなく、

家事をする必要も介助に時間を取られることもありませんでした。

 

 

でも

 

母親の相談を真正面から受け止め

最適解を探す日々は、間違いなくしんどかった。

それは事実です。

 

 

私がどんなにカウンセラーになることを嫌がっても

母親からすれば

「私の頑張って生きてきた過去を否定している!」

「お父さんの愚痴をちょっと漏らすのもあかんのか!」

「私は我慢ばかりさせられているのに、まだ私を追い詰める気か!」

「聞くのがあたりまえ」

「あんたはいつもお父さんの味方」

「お母さんのことばっかり責めて楽しい?」

なんです。

 

 

あなたのその相談に心を痛めて

あなたのその相談に費やした時間は

どんなに私に重くのしかかっていたか、わかっていますか。

小学生の幼い娘にさせることですか。

中学生の多感な時期にさせることですか。

 

 

そんな言葉があるのか知りませんが、

ヤングカウンセラー、

結構闇深いですよ。

じゃあ私だって「産まれてきてあげた」んだけど。

こんにちは!

 

 

ほんと、毒親たちって

「〇〇してあげてる」

っていう物言い、好きですよね~。

 

「金払ってあげてる」

「育ててあげてる」

「学校行かせてあげてる」

「ご飯食べさせてあげてる」

「料理作ってあげてる」

 

あげたらきりがありませんが

 

しまいには

「産んであげたのに」

とか言い出しそうだし、言われてる方もいらっしゃるのでしょう。

 

 

そもそも、子どもは産まれる家を選べません。

親を選ぶことはできません。

親も子を選ぶことはできませんが、産むか産まないかは親が決めるのですよね。

親が産むことを選んだから私たちは産まれているのですよね。

 

Twitterで、反出生主義の方の意見で

「出産は親のエゴだ」

という主張をよく目にします。

これに対してのリプライで、納得のいくものを私は見たことがありません。

私は子どもを産んだし、反出生主義ではありません。

しかし、「出産は親のエゴ」という意見には反論できません。

「エゴ」という言葉は少し過激かもしれませんが。

 

私も子どもを産んで余計にそう思いますが、

妊娠・出産は親の意志で行われるものです。

そこに子どもの意志はありません。

(赤ちゃんはあなたを選んでお腹に宿ったんだよ、などという意見は、毒親育ち・被虐待児には大変不快なので論外です。)

 

なのに、

「産んであげた」んですか?

自分たちの意志で産んだのに

「育ててあげている」なんですか?

自分たちの意志で産んだのに

「ご飯を食べさせてあげている」んですか?

 

 

もっと言うと

学校に行かせるのは親の義務なのに(教育を受けさせる義務)

「学校に行かせてやってる」んですか?

子どもに大学行けって言ったのは親なのに

「学費を払ってやってる」んですか?(私の話)

離婚するしないを決めるのは親なのに

「子どものために離婚しないであげてる」んですか?

 

 

子どもを育てるのは、親の意志で産んだ以上義務です。

子どもに食べるものを与えるのは、親の意志で産んだ以上義務です。

子どもの衣食住を整えるのは、親の意志で産んだ以上義務です。

子どもに必要なお金をかけるのは、親の意志で産んだ以上義務です。

 

そこを

「育ててやってんのに親不幸だな」なんて言うのはわけがわかりません。

 

 

私の母親も「○○してあげてる」「〇〇してやってる」

口癖でした。

子どもからしてみれば

「そんなに嫌なら大学行けって言わなきゃいいんじゃない?」

「私があの子と仲良くしてるから嫌だけどその母親と仲良くしてやってるって…そんなに嫌なら母親付き合い辞めればいいじゃん。」

「っていうかそんなに言うなら私のこと産まなきゃよかったじゃん」

です、少なくとも私は。

 

親の要望は何なんですかね?

感謝してほしいんですか?

それともお金を返してほしいんですか?

それとも謝ってほしいんですか?

 

子どもに罪悪感を抱かせて

なにが目的なんだろう?

 

 

子育てをするうえで

「自分たちがこの子を欲しいと思ったから産んだ」

という意識は常に持っていなければならないと思います。

 

 

例えば、子どもが自ら「塾に行きたい」と言ったから行かせたのに

サボりまくっていたら、それは

「あんたが行きたいって言ったからお金払ってあげてるんやろー!」

となるのはわかります。

それは子どもが自ら希望して、親がそれに対して容認してお金を払っているからです。

 

まあ先述した

「産んであげた」

「育ててあげた」

「ご飯を食べさせてあげた」

「(必要不可欠な)お金を払ってあげている」

とは次元が違うけど。違いはわかりますよね。 

 

 

 

子どもが自ら望んだことなのか、親としてやるべきことなのか

その線引きがぐちゃぐちゃです、毒親たち。

母親の元カレ話

こんにちは!

 

 

うちの母親は、元カレの話をよくします。

全然聞きたかないんですが(笑)

 

なんのアピールなのかわかりませんが、元カレの話をよくします。

どんな反応を期待しているのかわかりませんが、

私たち娘は、

「へぇ~そうなんや」

と反応するしかありません。

 

別に元カレの話をすること自体は苦ではないのですよ。

思い出話をしてくれることも嫌ではないです。

 

嫌なのは、

父のことよりも元カレの思い出のほうを美化して語ることです。

もっと嫌なのは、

元カレの話をした後に、父の悪口を言うことです。

 

 

私たち娘は、

父と母の間に生まれた子どもです。当然ながら。

その母が、自分たちの父親よりも、昔付き合っていた男たちの話のほうを楽しそうに話していたら

どう思うかは考えないのでしょうか?

まして、「それに比べてお父さんはさあ…」

と悪口まで飛び出すのを聞いて、娘はどう感じるか考えないのでしょうか。

 

私は、母と元カレの間に生まれた子どもではありません。

母と父の間に生まれた子どもです。

2人が愛し合って生まれた命だと思いたい。

 

前にブログにも書きましたが、

母はよく

「お父さんと結婚したのはボランティア。ほんまはこんな不細工な人と結婚したくなかった」

と言います。

何度も私はこの発言を聞いています。

何回も何十回も何百回も。

何年にもわたって聞かされています。

 

では、私は2人が愛し合って生まれた命ではないのです。

 

好きじゃない人と結婚して

好きじゃない人と子どもを作って

好きじゃない人と離婚せずに生活していて

 

ああ、お母さんって幸せなんだなあって

 

思いますか????

思わないですよね。

不幸せだなって思いますよね。

 

そんな話ばかり聞かせる母親から

「あんたらはとっても大事な存在なんやで」

「生まれてきてくれてよかった」

って言われて

「ああはいそうですかありがとう」

って素直に受け取れますか。

少なくとも私は無理です。

 

そんなに嫌な相手と子作りなんてまさか無理やり?

嫌な相手の子を妊娠して後悔しなかったんかな?

 

いろいろ考えます。

 

 

“自分は親が互いに愛し合い、生まれた子どもである”

と子どもが認識するためには、

親がお互いを尊重しているところを見ないと無理だと思います。

 

「昔は仲良かったのよ」

とかはまだわかる。人は変わりますからね。

ずっと仲よくしろと言っているのではない。

ただ、うちの母親の話だと”結婚”の時点で嫌がっている。

 

本当に私って望まれてできた子なん?

子どもの前やからきれいごと言ってるだけちゃうの?

 

そして冒頭の話に戻りますが、

そこで元カレの話を良い話として聞かされたらどう思いますか?

「じゃあその人と結婚すればよかったのでは?」

当然の疑問ですよね。

娘に聞かせるほど大切な思い出として残ってるのなら

何で無理してお父さんと今でも一緒にいんの?

もしかして私ら子どもがいるから別れられへんの?

え、私らってお母さんの人生の足かせなんちゃうの?

 

子どもでもそのくらいまで考えます。

 

 

母親の元カレアゲ父親サゲ話は

こんな風に私の母親不信の一端を担ったのでした。

親と連絡を取らなくなって一年

こんにちは

 

 

今年の3月末で、

親と連絡を取らなくなってから

1年が経ちました。

 

自分としては

結婚してからも結構な頻度で

帰らなければならなかったので(母の希望により)

それまで頑張って会いに行っていた分

一切の連絡を絶ったこの一年は

時が経つのが遅くて、

まだ一年しか経っていないのかというのが正直なところです。

 

去年の3月に母と父と一緒に祖母の家に行って

つらくてつらくて一刻も早く母の元から去りたくて

途中でカウンセリングの先生にもメールして

それでもなんとか耐えて

駅のホームで母と別れて、泣きながら帰ったあの日から

一切の連絡を絶って一年。

 

仕事に復帰できたとか

色々なことがあってそれなりに充実していたはずなのに

いざ親の事を考えるとたった一年しか経っていない。

 

まだ一ヶ月。まだ三ヶ月。まだ半年。まだ八ヶ月。

 

自分ではものすごく長いあいだ独り立ちをしたような気分でいたのに、

親と連絡を絶つというたったそれだけなのに、

「こんなに辛いのにまだこんだけしか経っていないんだ」

と自分に重くのしかかっていました。

 

親と連絡を取らないことが辛いというか、

親を無視し、ないがしろにしている自分が世間的にものすごく悪なのではないか

という辛さなのかもしれませんが。

 

 

でも、

時間が経てば経つほどに、

母親への感情が怒りに変わっていくのがわかりました。

一歩外から見てみると、

なぜそんな事を強いられなければならなかったんだろう、と思うことがとてもたくさんありました。

私の感情を返して欲しいと思うことも何度もありました。

怒りのエネルギーをどこにもぶつけられないなら考えるだけ無駄だから、

と思ってできるだけ考えないようにしましたが、

親のことを考えない日は一日もありませんでした。

 

結局親の呪縛から抜け出すことができない自分が忌まわしくて仕方がありません。

 

だけど、

時間が解決してくれる

という言葉は、ある程度正しいと思いました。

親と連絡を取らないことが少しずつ日常になってきたからです。

私は親と連絡を取らなくてもいい、

一緒にいることがつらい人と無理して一緒にいる必要はない、

親だからといってずっと一緒にいてあげなくてはならないわけではない、

ということを少しずつ感じ始めました。

 

私にとっては大きな前進だと思います。

 

 

と、

こんなことを書いているのは

久しぶりに妹から私の旦那に連絡が来て、

家族のことを思い出させられてしまったからなのですが(笑)

 

 

まだ書き溜めたものがたくさんあるのですが

とりあえず今日感じたことを書きたかったので書きました。

大人の話は、大人の相手にする

こんにちは!

 

いろいろ毒母関連の本を読みますが、

よくあるパターンの中のひとつの話をします。

 

子供を相談相手にしないで欲しいです。

毒親、私の場合は毒母は

“大人の話は、大人の相手にする”

という簡単なことをわかってくれません。

 

子供にとって親はあくまでも自分よりも上で

背中を追いかけるはずの存在です。

でも毒親は違う。

自分が守り、育てるはずの子供を、

相談相手として捉えているのです。

 

だから子供は小さい頃から、真剣に親の悩みを聞いてあげる。

親の愚痴を聞いてあげる。

親の不安を解消してあげられるよう努力する。

 

でもよく考えて欲しい。

あなたが相談している相手は、あなたよりだいぶ年下の子供であり、

話している内容は、あなたが悩んでいる大人の話です。

 

嫁姑問題がどうだ、

配偶者の顔や性格、行動が気に食わない、

親戚関係のいざこざ、

近所の人の嫌な噂、

学校の先生の悪口、

親自身の半生や辛かった歴史・・・

 

子供が大きくなってから、

ある程度話が分かるようになってから、

少し相談してみるとかはいいと思いますよ。

違った視点が聞けるかも知れないし。

だけど、

大人の悩みを幼い子供が聞かされるのは、負担でしかない。

大きな負担でしかない

親が可愛そうだとしか思えない。

不甲斐ない自分が嫌になる。

 

どこまで私や妹は親の“裏事情”を聞かされなきゃならなかったのか。

どこまで理解し、受容してあげなくてはいけないのか。

 

私たちにとって、“聞かなくてもいい話”はたくさんあったと思います。

 

親たちには考えて欲しいです。

その話は子供にする必要のある話ですか。

それとも大人の話ですか。

大人の話は子供にしていいですか。

その子供の反応をちゃんと見ていますか。

一生懸命あなたの味方をしようとしていませんか。

相談する頻度は高くないですか。

何度も同じ話を聞かせていませんか。

 

 

大人の話は大人を相手に。

私たち仲良し家族だから全部のイベントずっと一緒ね!

こんにちは!

 

みなさんは毎年のイベントものは

どうやって過ごしていますか?

 

私は毎年自分の実家と過ごしていました。

たとえばクリスマス。

私は18歳まで実家で過ごしていました。

友達とパーティーをしたい、

彼氏とデートしたい、

それを言うと、お母さんは機嫌が悪くなります。

良くて拗ねる。

何をするのか、何時から何時まで行くのか、どこに行くのか、なんで家族よりそっちを優先するのか、家族でのスペシャル料理は食べないつもりか、せっかく飾りつけも料理も特別なのになどなど

をしつこく言われたり聞かれたりするので、

もう諦めていました。

 

たとえば年末年始。

年末年始はいつまで家族で過ごさなくてはいけないのでしょうか。

私は28歳まで実家で過ごしていました。

楽だからではありません。

なぜ帰ってこないのか、なぜ家族なのに一緒に過ごせないのか、家族より優先することなのか、せっかくの年末年始なのに、おせち食べないつもりか、などなど

をしつこく言われたり聞かれたりするので、

余計な波風は立てたくありませんでした。

社会人になってからどころか大学生時代にも

「私まだ家族以外と年末年始過ごしたことないな」

と話すとたいていものすごく驚かれました。

だから、友達とパーティーするとかすごく羨ましかったですね。

 

年末年始って結局3,4日は実家にいることになるんですけど

喧嘩にならない年はないですよ。

私と親もそうですけど、

お母さんとお父さんはほぼ毎日ですね。

何のために帰らされるのか、意味不明です。

喧嘩を聞かせるためでしょうか?(笑)

 

そんなんだったから、

旦那の実家より優先すると嬉しそうでしたよ。

家族の嬉しそうな顔を見るために、旦那の実家をないがしろにしていた自分を

殴ってやりたいですね(笑)

今年の末に初めて旦那の実家で年末年始を過ごせるかもしれません。

結婚5年目なのにそっちのほうが最低です。

 

ある程度の年齢になったら、

好きにさせて欲しいですね。

自分の人生で、

一生に一度しかないその年なので。

命を人質にする親たち

こんにちは!

 

今日は自分が現在進行形でもがいているお話です。

 

 

「死ぬかもしれん」と言う、

“泣く”、

「〇〇ちゃんに嫌われたら生きていけない」

「帰ってきてくれないと死んじゃう」

キレながら「死ねばいいんやろ!」と叫ぶ

 

毒母の常套句です。

 

こっちが意見を言ったり、

向こうの意にそぐわない反応をしたり、

そっぽを向いたりする

そうすると、毒母は

泣いてすがるか、もしくは

「死ぬ」というキーワードをいいように使ってきます

 

これが子どもたちの心の深いところに

罪悪感を植え付ける手っ取り早い方法であり、

最終的に言うことをきかせる最も簡単な手段だからです。

 

私も今それに苦しめられています。

 

私は

「これ言ったらお母さんまた泣くかなあ」とか

「しんじゃったらどうしよう」

と思うことが何度もありました。

 

主治医の先生によれば、これは脅しだそうです。

毒親がよくやることで、

命を人質に、脅して支配下に置こうとしている

という行動パターン。

なるほど確かにそうかもしれないと思ってみると、納得がいきませんか。

 

子供の頃から脅されていたけど、

子供だから自分が悪いんだと思い込んでいて、

そのまま脅しだと気づかずにそれを受け入れて、

そのまま大人になってしまいました。

 

そして、

親に歯向かうことは、自分が悪い。

お母さんにこんなふうに言わせてしまう、自分が悪い。

お母さんを受け止められない、自分が悪い。

親を愛せない、自分が悪い。

みんなは親とうまくやっているようだし、うまくいかないのは、自分が悪い。

そうやって大人になった自分たちは自分を納得させる。

 

でもそれはやがて無理が来る。

でも疑問に思わない癖が付いたから、

親が原因だなんて思わない。

だから離れられない。

 

そういう悪循環にはまっているんだ、と思いました。

 

親と距離をとり始めてからも、罪悪感は私を大きく包みました。

毎日何かが自分を責めている感じ。

絶えずくる連絡を無視するときも、

大きく包み込んでくる罪悪感。

妹から電話で「でも、お母さんのこと嫌いなわけじゃないんやろ?」と聞かれて、改めて思い知らされる自分の非道さ。

夢でほぼ毎日責め立てたり泣き落としたりしてくる家族。

 

正直、今も罪悪感でいっぱいです。

でも関わったら自分が壊れる。

それはもう28年間で経験済みなんです。

 

 

有名な『毒になる親』(スーザンフォワード著)には、

手紙による対決、について書いてあると知りましたが、

私はまさに、親に自分の気持ちを知ってもらうために

(でも直接だと罪悪感と攻撃とで勝てないから)

今までされてきて嫌だったこと、当時の心境、今振り返ってどうか

ワードで記録しています

 

過去をどんどん発掘していってもう一度体験するので、

気持ち的にはかなりしんどいです。

一度親を疑い始めると

「あれもこうだったのでは?」

「本当に全部私が悪かったの?」

「なんで私があんなにお母さんの相談相手をしなくちゃいけなかったの?」

「なんでお父さんのこと好きって言っちゃいけなかったの?」

「家庭の中での敵・味方って何?」

どんどんどんどん疑念と憎しみが溢れ出てきて

止まらなくなります。

 

でも主治医の先生は、それを

「やりたいときはやればいい、

書きたいときは書けばいい、

誰かに吐き出したいときは吐き出していい、

やりたくないときはやらなくていい、

書きたくなければ書かなくていい。

自分の気持ちのままに動いてみて、まずはそれからです。

手紙だって出したいときに出せばいい。

出したくなくなったら出さなくてもいい。

時間が経ってから出してもいい。

正解なんてないから、自分のやりたいようにやりましょう。」

と言ってくれました。

 

だから私はワードに打ち込んだ記録とともに、

手紙を書きました。

4ヶ月かけて書きました。

 

でも送れない。

 

5月にあらかた書き終わって、

送ると決意したのに、

毎日「今日郵便局に行こう」と決意しているのに。

(決意したあとに「あ、あれもあった!」って書き足すことが多いのもありますが(笑))

8月の今でも決意を実行できません。

 

理由は、

「送ったらお母さんが死んじゃうかもしれないから」です。

 

でも絶対自分の気持ちは知ってほしい。

もう関わらないと決めていても。

いつかは普通の親子になれるかもしれないと思ってしまうから。

 

どうやったら罪悪感は、なくなるんでしょうか。