母親の母親もまた毒親
こんにちは!
母親の母親
つまり私のおばあちゃんの話ですね。
私はあくまで
「私の母親の子供」なので、
私の母親に同情する必要はない
と思っています。
それは子供の仕事ではないから。
私が母親からされた嫌なこと、
それはそれで嫌だった、で終わらせてもよいと思っています。(今は)
ただ、毒親という言葉を知る前の私は
「私の母親はあんなにひどい仕打ちをされてきたのだから、かわいそうな人なんだ。私が守ってあげなくちゃいけないんだ。私がされて嫌なことも、母親の生い立ちがひどいせいなんだ。だから許してあげないといけないんだ。」
と、幼少期からずっと思い続けていました。
母親にも事情があったのかもしれないし、
きっと毒親問題ってそこ抜きには語れないのだろうと思います。
でも、事情があっても許す必要はない。
それを前提としたうえで、今日は祖母(母方)の話を書こうと思います。
ちなみに、
父親の母親もとんでもない毒親で、
そのうちそれも書きたいので、
今回のブログでは「祖母」表記ではなく、
「祖母(母方)」表記にします。
祖母(母方)のセリフで
私が忘れられない言葉があります。
これは私が直接聞いたのではなく、
私が母から聞いたものですが、
私が生まれた時のこと。
母が赤ちゃんの私の世話をしながら「かわいい~かわいい~」
と言っていたそうです。(平和ですね)
すると祖母(母方)が一言
「あんた、ようそんな自分の子かわいいかわいいって言えるな。私自分の子供かわいいと思ったことない。」
と言ったそうです。
自分の娘(私の母)に。
下の記事を書いたときに少し触れましたが、
tamakonnyakuchan.hatenablog.com
祖父(母方)が、クソじじい悪魔のような男だったので、
そういう思考(嫌いな男の子供への感情)になるのもわからなくはないのですが、
それは実の娘に言うことではないですね。
でも言ってしまう。
それを聞いた娘がどんな気持ちになるかは考えられないのでしょうね。
祖母(母方)には私の母親のほかに2人の息子がいます。
母親は「かわいいと思えないのに何で3人も産んだん?」と聞いたそうですが、
祖母(母方)は
「3人産んで一人前って言われたから。」
と答えたそうです。
時代もあるんでしょうけど。
祖父(母方)が傍若無人なふるまいをして、虐待をしていても
見て見ぬふりをする状態だったそうですし、
何か気に食わないことがあると子供と1か月口を利かないこともよくあったそうです。
私も愛情深いエピソードを聞いたこともありません。
私は祖母(母方)と接していて、嫌な思いをしたことはあまりなかったのですが、
妹と祖母(母方)の話になると、驚くほど印象が違います。
私はいわゆる”女の子”でした。長い髪が好きでスカートをはき、”女の子らしいこと”に興味があり、言うことを聞く。
妹はボーイッシュの姿を好み、口ごたえもするし、スカートは絶対はかないしショートカット。
祖母(母方)にとって「女なのに女らしくない」と思われた妹は、私と扱いがまるで違ったようでした。
何をしても怒られて、口を開けば「女らしくしなさい」
妹から聞く祖母(母方)の印象はいわゆる毒。毒祖母だったのでしょうね。
祖母(母方)が私をかわいがってくれたのも、“私という存在”がかわいかったのではなく、”言うことを聞く女の子らしい女の孫”がかわいかったのだろうなぁと今思います。
そんな祖母(母方)の生い立ちも
なかなか壮絶だったようです。
(まぁクソじじい悪魔のような祖父と結婚した時点で悲惨だとは思いますが。)
じゃあ、祖母(母方)の母親は…?
もしかしたら毒親だったかもしれません。
だから、毒は断ち切らなきゃいけないんです。
ずっと不幸が繰り返されるから。
誰も幸せになれないから。
毒を断ち切るための第一歩が「毒親」という言葉を知ることだと私は思います。
「毒親」という言葉を知ったから、
私は生きづらさの根底にある親への感情に気づき、
親に疑問を感じ、
自分の感情やインナーチャイルドと向き合い、
親との関係を見直し、
絶対に同じような親にはなりたくないと、自分に誓うことができました。
みんないろんな事情を抱えて生きています。
だからと言って何でも許さなきゃいけないわけじゃない。
ましてや子供が親のしてきた嫌なことを許す必要はないと思う。
「ふ~ん、お母さん(お父さん)も大変だったのね~。大変な家庭で育ってきたのね~。嫌な経験をたくさんしてきたのね~。でも私も大変だったから。」
これでいいと思う。